東京女子体育大学新体操競技部

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運動オンチのオリンピック その7

運動オンチのオリンピック その7

1984年、新体操競技が正式種目に決定した。
新体操界にとって初めてのオリンピック、全てが手探りだった。

世の中に新体操が浸透していない時期、物珍しさにメディアの露出が多く、毎日のようにテレビや雑誌の取材を受けた。
そんな中でもトレーニングは続いた。

八ヶ岳の藤村合宿所ではオリンピック選手2名と補欠選手1名、五明コーチ、トレーナーの金井さん、ピアニスト古川さんの6人で1か月以上に及ぶ缶詰生活を定期的に行った。
合宿所と体育館は山の中腹にあるため酸素は薄く少し動くだけで息が上がる。

朝6時から山を駆け下り駆け上がるランニングにスタートし、馬跳び、腹筋、反復横跳びなどのトレーニングが日課だった。時には新体操選手なのに何故、こんなに坂道を走るのだろうと思う事もあった。
1時間の基礎トレーニングの後、食事をしたら9時からは新体操の練習がスタートする、そこでもランニング、筋トレ、バレエにジャンプ、をコーチのオッケーが出るまで行った。
ボールやリボンの手具を持つ時には既にヘトヘトの状態だった。
八ヶ岳の合宿所は24時間使いたい放題、演技がまとまらない日は夜中まで練習が続く事もしばしあった…

濃い緑と鳥の声、6人の生活、体育館と宿舎の往復、外に出るのは朝のランニングのみの日々、そんな1か月以上にも及ぶ山での生活から下山すると、東京の景色はまるで別の世界を眺めているような気分になったものだ…

東京での練習は信じられないほど呼吸が楽だと感じた。
午前中に4種目10本ずつ合わせて40本の通し。午後も同じく40本、合計80本通す日もあったが疲れない…

山での日々が私を鍛えてくれた…

それからだ
何でこんなことをやるんだろうと頭の中で過ったとしても、とりあえずやってみる。いや、とりあえず信じて元気にやってみることにした。

山に行く前までは、授業がある三階の教室までの階段すら疲れていたのだが、山の生活後は元気に登るのが新体操のため、苦手な球技の授業もチャレンジするのか新体操のため…そう思えた。

新体操ではない沢山のことも私をオリンピック選手に育ててくれた。

1日80本、最後までご指導くださった五明みさ子先生、ウォーミングアップから演技中、全ての時間ピアノを弾き続けてくださった古川悦子さん、体のケアをしてくれた金井誠さん、そして選手であった山崎浩子さんと、大塚裕子さん
みんなが居たから乗り越えられた…

今更ながら深く深く感謝の思いが湧き上がる…

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