子どものころは虚弱体質で布団の中にいる事が多かった。その時の唯一の楽しみは窓から差し込む日差しの中にキラキラ輝く埃の粒を見ることだった…
子どもだった私が世の中で最初に美しいと感じたのは、この埃かもしれない…
運動の習慣がなかったためか小学校時代の体育は悲惨だった、まず走り方が分からない、走る時に腕を振らずにペンギンのように腕を伸ばして緊張して走っていたので先生に何度も叱られた「なぜ腕を振らないのか‼️」と注意され、初めて走る時に腕を振ることを知った。
小学校一年生、弱い体を改善するために母は私にクラシックバレエを習わせてくれた。弱かった私はみるみる元気になった、しかし体育が出来るようになったわけではない。
体育の授業はいつだってクラスの笑い物だった。
中学三年までバレエを続けた。踊ることが大好きな自分がいたし、もう病気で学校を休むこともなかった。
新体操と出会ったのは高校一年生、バレエと似ていると思って始めた新体操だったが実際やってみると、とんでもなく難しかった。
始めて1ヶ月もたたないうちに辞めたいと思った、腕の上でボールを転がそうと思ってもボールは腕から落ちてコロコロとどこかへ転がっていく、リボンは体にぐるぐるに巻きついてまるでミイラだ…
そう私は元々運動オンチだったのだ、分かっていたのに部活動に憧れて新体操部に入ってしまったが、やってみると私には向いてないことが分かった。
新体操部を辞めたいと先生に言いに行こうと思ったが小心者で、その一言が言えなかった。
上手く行かない新体操、試合に出てもミスばかりで、いつの間にかミス秋山というあだ名が付いていた…
そんな状態で三年生の終わり高校最後の試合がやって来た。
この大会でノーミスで演技して新体操生活を終えよう、そう心に決めた大会だった。
ノーミスに向けて練習した、一生最後の新体操のつもりだった、嫌いで苦手だけど最後くらいは…そんな気持ちだった。
高校一年最後の試合、ノーミスを目指し頑張った日々…
最後の演技、秋山の名前がコールされフロアーに入る、音楽がかかり踊り始めた、そして私の投げたフープは2度と私の手には戻らなかった…
場外大ホームラン…
試合が終わった瞬間、私は思った。
やっぱり私はミス秋山だったんだ…
やっと苦手な新体操とサヨナラできる…
もうこんな思いをすることは無いんだ…
あんなに頑張ったのに悔しい…
一生一度でいいからノーミスの試合がやりたかった…
様々な思い、まるで私の中に私が何人もいるようだった。
数日後、私は私の中の1人を選んだ。一生一度でいいからノーミスの試合をしたいと願う自分だ。
そして東京女子体育大学に進学を決め故郷の福岡を飛び出した…
あの悲惨な場外大ホームランの試合から一年後、私は東京女子体育大学の指導者の手でインカレで優勝し、日本代表選手となりフランス、ストラスブールの世界選手権に出ていた、そこから私のオリンピック出場に繋がって行った…
その時、私は思った、高校3年生でミスして良かった、あの時上手くいっていたら新体操は辞めていただろう、そして子どものころ病院ばかりしていて良かった、もし元気な子どもだったらバレエを習っていなかっただろう、虚弱体質で良かった…
何だか変な話だが、ミスと病気に感謝している自分がいた。
今でも自分にとって不利なこと、悲しいこと、痛いこと、辛いことがあると、これはいつかとても幸せなことに繋がる種なんだと思っている。
続けること、諦めずやり続けることでどんな不幸も幸せに生まれ変わる、そう信じている…
この続きはまた今度…(^^)
※運動オンチのオリンピック
このお話は小学校四年生の道徳の教科書の副読本に長い期間掲載されていました。小学校の授業で習った人もいるかもしれませんね(^^)
秋山エリカ